« あらもーど!? | トップページ | おやつ »

2011/05/24

映画「ブラック・スワン」

ナタリー・ポートマンが吹き替えなしで踊るんだ〜位の軽い気持ちで観に行ったんだけど…。
自分の妄想とか環境と日々闘ってるのは誰にでもある葛藤だとは思うけど、演技というモチーフで表現されても…しかもあんな風に…。実際ああなってる時って自分で分かってないと思うし、恐怖を感じなくない!?あんな風にやられると逆に笑っちゃう…って笑ってる自分も怖いけど。
羽を抜くシーンなんて、自分の身を、命を削る「鶴の恩返し」が一瞬よぎったし。じゃあ「幕末純情伝」の沖田を演るにあたり、何人殺しておけばパーフェクトに役がこなせるのかって事になるよね…。
普段、どれだけ役と切り離して私生活を送れるかが課題の私にとっては…それで?だから何ですか?の映画だったのだけれど。R30位にしないとラストの解釈も含めて思い込みの激しい20代の芸術家たちには危険じゃないのかしらん…。役がのりうつる、役に入り込む、パーフェクトにやるには絶対必要な事だけど、妄想は乗り越え、想像は果てしなく深く広く…全て自分の頭の中で起こる事だから制御するのも自分、解き放つのも自分。そういう意味でも「自分に負けない」っていつも言ってるつもりなんだけど…って言ってても役に捕らわれちゃうと、自分でも大丈夫かどうかは本当は自信ないけどさ…。
…勝手な感想でした…そんな話じゃなかったら、ごめんあそばせ。

|

« あらもーど!? | トップページ | おやつ »

コメント

Hi - I am really delighted to find this. Good job!

投稿: AswadKannaw | 2011/05/24 11:17

映画は観ていないのですが・・・
妃香里さんの役作りに対する想いがストレートに伝わってくる感想に惹きこまれました。
『幕末純情伝』の沖田総司役。思わず「過去のBBS」から入って、
ちょうど千秋楽直後の妃香里さんの書き込みを読み直してしまいました。
本当に総司が乗り移っているかのように、公演中総司として生きていらっしゃった妃香里さんの姿が鮮やかに思い出され・・
正に「妄想は乗り越え、想像は果てしなく深く広く・・」総司役に臨まれた
妃香里さんの心は、日常との切り離しもギリギリの所で保たれていたのではないかと思います。
妃香里さんの、あまりにも研ぎ澄まされた総司としての姿が頭から離れず、
千秋楽の数日後、六本木にある総司のお墓を訪ね、柵の外側からではありましたが
「妃香里さんの中から出てこちらに帰ってくださいね」とお願いしてきたことも
懐かしく思い出しました(笑)

本気の「役作り」と「狂気」の境目を、理性を持って制してこそ真の輝きを放つのでしょうねshine
20代の芸術家たちへの警鐘も含めて、妃香里さんの色んな想いの詰まった「ごめんあそばせ」が心に響きましたnote

投稿: ジェミニ | 2011/05/25 22:36

妃香里さんの感想を読んで、ちょっと映画のあらすじを覗いてみました。
ダークサイドを演じる抵抗がどんどん波及していくお話しのようですね。
妃香里さんがセラミュでダークサイドを演じられた時はどんな感じだったのでしょうか?
抵抗無く、普段通りに私生活を送られてたのでしょうか?
追伸
もうどなたかカキコミされてるかもですが…
最近「JOYSOUND」と言うカラオケでセラミュソングが唄えます。
早速妃香里さんの歌を熱唱してきました。

投稿: 横浜の牡馬 | 2011/05/28 09:02

見てる側のこっちは、素の妃香里さんと役柄とについてあれこれ思いを馳せるのも含めて楽しませていただいております。

投稿: せら | 2011/06/01 19:22

ブラックとホワイト。
テクニックと感情。
善と悪。
光と闇。
アートには両方が必要です。一方だけでは本質を表現しきれません。

芸術家は誰でも、作品を自分の理想に近づけようとしますが、
でも、「完璧」な芸術とは何でしょうか?
見ているお客さんたちは作品の中の人間性、もろさ、弱さ、感情などに反応する。
アーティストがテクニックを完璧にしようとして、
その弱さを含む人間的な部分を無視すればお客さんは何も感じません。
そのためにはテクニックと感情のバランスを取らねばならないと思います。

(映画のネタバレになるかも知れませんので、まだ見ていない方はご注意ください)
ブラックスワンの反射のテーマは面白かったです。
鏡だらけの狭苦しいアパート、暗い地下鉄の車内の窓に写った自分、
ダンススタジオの鏡、自分の二重身。
(ハムレットの演技理論を思い出します:「演技は自然に鏡を上げる」のが目的であります。)
ニナは鏡に写る自分の中の暗闇を受け入れなければならなかったです。
でもアーティストがその闇に負けてしまったら自分を破壊してしまいます。
私は自分を失って役になりきりすぎるのは、演技じゃないと思います。
メソッド演技法では役の内面や感情にフォーカスしてリアルな演技を目指しますが、それは相手役やお客さんを無視して自分の世界に入って自己満足で終わってしまうパターンが多いです。
だから監督はニナのようなアーティストが完璧だと伝えたいのではなく、
役になりきる事で自分を壊してしまうと伝えたかったかも知れません。
「役になりきる」事と「役を演じきる」事は別の事だと思います。
これはダンサーに限らず多くのアーティストに共通する事だと思います。
(ちなみに、映画「レスラー」も同じ監督の作品ですが、実は同じようなテーマがあって、本来「ブラック・スワン」と「レスラー」を一つの映画にしたかったらしいです。)

ま、いい映画はいい会話を生み出しますね。

投稿: Rose | 2011/06/06 04:29

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« あらもーど!? | トップページ | おやつ »