趣味と生業の間
なんだかんだで、まだまだなんだかおうち時間。
高3になる甥っ子が子供の頃書いた昔話。最後は何故か孫悟空がみんなを助けて終わる。面白すぎて触発され⁉︎
この際、誰に見せるわけでもない、現実的に舞台化は出来ないでしょ、妄想すぎて恥ずかしいでしょう的なお話を気楽につらつらと書いてみようかと、ワードを開けて遊んでいる。
私がそれぞれの登場人物たちになると勝手に言いたい放題な言葉が出てきます。多重人格になりつつ会話がグルグル絡まって行くのを楽しんで。
書いていると、あぁこういう思考回路で文字に表すとこの言葉でこういう表記になるんだと…改めて自分が台本を読む時、作家の意図をどう汲むのかを考える。
ただ、私の場合よく、作家先生から「そこまで考えて書いてないけど」…と云われる深読みちゃんのクセがあるのだが。
お話の方は結末というゴールは決めてあるので、登場人物たちがどうやってゴールに辿り着くのか全く私にも今のところ分かりません。期限も切られていないので、いつになるのかの心配もいりません。
ひとりで黙々とできるとても楽しい遊びですけど。全くもって不要不急。
では、私の人生で必要必急なんてあったかしら⁉︎ ちょっとイジケ気味だけど(笑)考えてみると。
それはたぶん、ひとりではなく誰かと時間と空間を共有すること、あわよくばその行為で生きていけるだけのゴハンが食べられること。いくら文明が発達したってお米や野菜は最後は人の手じゃなきゃ届かない。心も身体も栄養は共有する空間で届けられる。私にはお客さまと共有する空間が一番必要なんだ。つまり、板の上。
奪われて改めて知る。
私にとっての生業の、形。愛着。こだわり。
最近のコメント